2011年12月8日木曜日

ジャック・ロシャールさんとの往復書簡 その3 (日本語版)

原文(英文)はこちら

#5 コウタ・ナカヒラからジャック・ロシャールへ
2011年12月5日

親愛なるジャック、

勇気づけられるお言葉、再度お礼申し上げます。
おっしゃるように私は異なる立場の異なる人々が再びつながり協力できるようになって欲しいのです。翻訳作業は小さなことにすぎませんが、その一助にはなると思います。私たちにはあなたのように海外からも手をさしのべてくださる方々がいることを地元の人々に知って欲しいのです。多くの信頼できる情報源があることを、それが日本語でないというだけの理由で、多くの人は知りません。



自己紹介が遅れて済みません。私は東京近郊在住のエンジニアです。原発エンジニアではなくて自動車関連ですが。私自身が原発事故の影響を実際に受けたわけではありませんが、福島に友人がいます。かれらは原発事故の影響を受けており、そこには多くの「不協和音」があります。彼らを支えたいのです。

もう1つ理由があります。私は広島の出身なのです。広島の人間は大きな犠牲を伴い廃墟から復興を遂げました。その苦い経験から得た知識を福島の人達と共有すべきだと思うのです。それを無駄にしてはならないのです。

ところで、私は一度あなたの国を訪れたことがあります。パリだけでなく田舎の風景もそれは美しいものでした。福島の人達にもいつの日か、あなたの国の田舎の風景のようなその美しい景色を不安に感じることなく満喫して欲しいのです。

敬具

コウタ




#6ジャック・ロシャールからコウタ・ナカヒラへ
2011年12月6日

親愛なるコウタ、

お手紙そして自己紹介ありがとうございます。
現状において連帯はとても重要です。被災地の中の連帯だけでなく全国、そして国境を越えたレベルでもです。

あなたの動機がヒロシマにあるということはとてもよく理解できます。わたしはかねてからヒロシマとチェルノブイリには強いつながりがあると考えてきました。そして今はあきらかに福島ともつながりがあります。90年代半ばに大江健三郎氏の著書「ヒロシマ・ノート」と出会いました。この本の中でこのような劇的な出来事に巻き込まれた人に問われているものを見つけました。それは尊厳です。

私たちは後ろ向きな力と戦わなくてはなりません。後ろ向きの力とは、福島の人々を見捨てる誘惑、福島やその地のものの忌避、言い換えれば被災地の人と場所にレッテルを貼ることです。

私が1990年にはじめてチェルノブイリ原発周辺の村を尋ね歩いた時、とても人として重要ななにかが現れてきつつあることを、すぐに感じました。しかしたとえ住民自身がこれに気がついていなかったとしても、住民の方々から聞いた話はとても痛ましいものだったにも関わらず将来への希望に満ちていました。私が受け取ったメッセージは、命は死より強い、ということでした。このメッセージを現実とするようこれまで20年以上、人生を捧げてきました。

もちろん具体的に前進するためには、協力して全員に現状を理解させ、それを改善しつづけることの意味をひとりひとりに与えることです。長い道のりですがベラルーシの経験はそれが可能であることを示しています。さらにいえばこの経験を乗り越えた人はなにか内なるものを得るような気がしているのです。彼らは強くなる。

あなたの国もとても美しい。私は何度か東京、京都、広島、大阪などの大都市を訪れたことがあります。一度だけ青森に近い北の方の田舎にも行ったことがあります。福島の事故に関連して今年2回福島県に行き、日本の地方の側面を発見しました。私はそれをとても好きになりそこに住む人々のことをもっと知りたいと思うようになりました。もし村々のレベルで対話を広げ深める私たちの計画が現実になれば、福島の多くの興味深い人達と出会い何人かと友人になるでしょう。2月に福島を訪れる際には是非お会いしたいです。

もしチェルノブイリの経験に関する情報や資料が必要なら遠慮無くおっしゃってください。過去15年にわたりベラルーシ南部における生活環境を改善しつづけたプロジェクトに関連する英語の記事やパワーポイントファイルがいくつかビデオもあります。でも残念ながら多くはフランス語で書かれています。

お返事お待ちしております。

ごきげんよう。

ジャック

追伸:ご存じないかも知れませんので、英語から日本語に翻訳されたレポートを添付しておきます。きっと関心を持たれると思います。

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