2015年12月30日水曜日

ICRP2015 での発表原稿、動画等掲載 Presentation on The 3rd International Symposium on the System of Radiological Protection

 2015年10月20、21、22日にかけて韓国ソウルで行われた、「ICRP2015 第三回放射線防護に関する国際シンポジウム」に、安東量子が参加し、「Measuring, Discussing and Living Together ―What We Learned from Four Years in Suetsugi」のタイトルで発表を行いました。
 Ryoko Ando attended "ICRP 2015: The 3rd International Symposium on the System of Radiological Protection" held in Seoul, Korea on 20-22 October 2015, and made a presentation titled as "Measuring, Discussing and Living Together ― What We Learned from Four Years in Suetsugi".

 発表の内容は、ICRPサイトの以下のページでご覧頂けます。
 You can see the presentation on the ICRP website as follows:
  • 発表概要/Abstract
     福島原発事故後、日本政府の基準が生み出した3本の「線」(30km、0.23μSv/h、ND)が、人々の生活にどのような混乱をもたらしたか、そして、いわき市末続地区の取組が、この「線」にどのように対処してきたかを説明する。
     After the Fukushima Daiichi NPP accident, three "lines" -- 30 km, 0.23 μSv/h and ND -- were created by the norm by the Japanese Government. This presentation explains how these "lines" brought confusion in the daily life of people, and how activities in Suetsugi district, Iwaki city, coped with these "lines".
  • 発表原稿/Paper
  • スライド/Slides(PDF)
  • 発表動画/Presentation video(YouTube)

  • パネルセッションの動画/Panel session video(YouTube)

 パネルセッションの質疑応答で、「放射線防護の専門家の役割はどうであったか」との質問が会場から出ましたので、私は、「ほとんどまったく役に立った記憶はございません」と返答しました。
 On the discussion in the panel session, I have been asked my comment about how the radiation protection experts played their role. I replied that protection experts have not been helpful at all for us.
 会場では、詳細は説明しませんでしたが、いわゆる専門家の方たちは、「社会」という観点が非常に薄く、数字ばかりを見ていたため、社会に広範 に影響を及ぼした事態に対応できなかったということだと思っております。
 Nevertheless I explained shortly on the spot, I think that the so-called experts hardly had a viewpoint as "society" but only pursued figures, therefore they could not react the situation which widely affected to the society.


 当日の英語発表、そして、英文原稿作成に関しては、友人である荒井多鶴子さんから多大な協力をいただきました。 彼女の助力なしには、すべてできなかったことです。
 The speech in English on the day and the preparation for the presentation were made with great assistance from my friend, Ms Tazuko Arai. Nothing would be achieved without her help.
 心からの感謝を。
 I would like to express gratitude from the bottom of my heart.

日本アイソトープ協会発行『アイソトープニュース』 2月号「Tracer」に寄稿辞退した原稿を掲載します

 日本アイソトープ協会『アイソトープニュース』編集部より、「Tracer」欄に「相談員制度、始まる――いわき市・末続の現在​」というタイトルでの寄稿依頼を受け、以下に掲載する原稿を送付いたしました。

 本稿の寄稿依頼を受けるにあたって、私は、ひとつ条件を付けました。
 つまり、原発事故後、放射線防護業界の動きについては、大いに不満を持っていること、特に、小佐古氏のもたらした影響は非常に大きく、原稿の中で、辞任劇について批判的に触れさせて欲しい、この条件が受け入れられないのなら、原稿依頼は受けない、というものでした。
 この条件については、あまりにひどい個人攻撃でなければ、ということで編集会議で了承され、正式な寄稿依頼となりました。
 11月19日(木)の締め切り日に送付後、12月12日(木)に編集委員長名義で、以下のような修正を求める内容のメールを頂戴しました。

ご高文を拝読いたしましたが、「結びに代えての問いかけ」の章で、かなり厳しい論調で個人名を挙げているところに、編集委員会では戸惑いを感じた次第でございます。
確かに編集事務局から依頼する以前、企画推薦のあった当協会職員へ「小佐古参与の辞任劇についての批判の一文を短く入れることになる」といったお断りがあったようですが、実際のご執筆を確認し、困惑したのが実情でございます。
小佐古氏の辞任は事実ではありますが「その責任を放棄した」という表現は甚だ私的なご意見かと思われます。前文は、現在までの経緯を穏やかに解説されていて、福島復興への取り組みとして大変興味深く拝読いたしましたが、同部分から論調が転換しています。
この度のご高文は、末続地区での裁判員制度の誕生を紹介した貴重なものと重々承知しておりますので、第4章の2段落目(2011年、筆者が・・・)から最後の段落の前(本稿の結びとしたい。)まで、削除していただければ幸いです。
当該部分の記述がなくとも、住民の自助活動に努力され裁判員制度を誕生させたことは、読者にとって十分理解が可能かと思います。あくまでも学術的解説として論を進めていただければ幸いというのが、編集委員会での意見でございます。

 編集委員会より削除を求められたのは、以下の箇所になります。

 2011年、筆者が、現在にいたる出発点となった勉強会を行ったきっかけのひとつは、当時の保健物理学会長であり内閣参与であった小佐古敏荘氏の辞任であった。放射線に関する知識は、ほぼないに等しい中、氏の辞任以降の福島県内の大混乱を目の前にし、放射線防護の専門家がその責任を放棄したことに深く失望すると共に、専門家が頼りにならないのであれば自分たちでなんとかするしかない、という決意から始めたのが、すべての始まりである。2012年、保健物理誌に筆者は自分たちの経験と考察を寄稿した。この拙文には少なからぬ反響を頂戴したが、保健物理誌の読者に対して、「私たちは、こうします。それで、あなたたちは、どうしますか?」との問いを言外に込めたつもりであった。

 小佐古氏の個人名等の削除要請であるならば、検討の余地もあったのですが、私が寄稿依頼を受けましたのは、「相談員制度」であったにも関わらず、編集委員長からの手紙には「裁判員制度」と2回も誤記されていたことから、私の側が文章を修正してまで載せて頂く必要はない、と判断し、それならば、このお話はなかったことにしてください、とお返事申しあげました。
 編集委員長からは、以下のようなお返事を頂戴いたしました。

編集委員長としては当該記述を除いて本欄として残すことを希望しておりますが、意見が分かれてしまった以上、安東様のお気持ち(事務局へのメール)を尊重いたしまして、ご執筆辞退を認めざるを得ないと存じます。

 ご自分が、「裁判員制度」と誤記したこともお気づきになっていらっしゃらなかったようですので、私からは、以下のようにお返事申しあげました。

「裁判員制度」については、他にご寄稿をご依頼される適当な方がたくさんいらっしゃると思いますので、どうぞ、そちら様にご依頼くださいませ。
私に書けますのは、「相談員制度」についてだけでございます。
こちらこそ、ご依頼いただい内容が、「相談員制度」とばかり思っておりましたのに、見当違いの内容をお書き申しあげまして、失礼いたしました。
見当違いの内容でございました本稿については、私どものサイトに、そのまま掲載することにしようと思っております。

 見解の相違はあろうかと思いますが、アイソトープニュース編集委員会の対応には、深く失望しております。
 削除依頼された箇所を含む全体をお読みいただきますとわかりますように、 私の記述は、個人を糾弾するよりも、業界内で議論を深めて欲しいとの投げかけが主でありました。
 それでもなお、上述したように、個人名を削除して欲しい、などの個別的修正依頼でありましたら、対応する余地は十分にございましたが、原稿のテーマである「相談員制度」を「裁判員制度」と二度にわたって誤記した編集委員長の手紙を、別の編集部の人間を介して送ってきたことから、原稿の内容そのものに、編集委員長を筆頭として編集部の方も興味をお持ちではないのだろうと判断し、掲載をお断りすることにした次第です。
 本稿を送付後、放射線防護のとある専門家の方に、小佐古氏騒動に対する批判を含む文章を寄稿したことをお話ししたところ、「次は、我々専門家が批判にお応えしなくてはいけませんね」と仰ってくださった方もいらしたことも考えますと、アイソトープニュース編集部の対応は、非常に残念です。
 内容については、末続地区における相談員事業の概要を記述したもので、現場に関わっておられる方には、興味をもって頂ける内容なのではないかと思います。せっかく書いた原稿ですので、どなたかにお読み頂けたらと思い、ここに掲載することに致しました。

2015年12月30日 安東量子