2012年1月1日日曜日

Lochard さんからの返事の和訳。(Japanese)

先程のロシャールさんからの返事を私が和訳しておきました。
ジャック=ロシャールさんは、フランスのCEPN (放射線影響研究所)の方ですが、ICRPの委員もされています。

===以下翻訳===
1. 次のICRP『対話』ミーティングに関して。
次の『対話』ミーティングは、伊達市市民会館で、2月25日(土)と26日(日)に開かれます。ミーティングの発表内容に関しては、詳細は決まっていません。もちろん、焦点となるのは、伊達市が直面している問題になるでしょうけれど、被災地域すべての役に立つ一般的な問題も話すことにするつもりです。この観点からすれば、あなた方の活動の代表に来てもらうのが良いでしょう。ICRP主委員会の委員でもあり、ICRPの支援する福島『対話』イニシアチブ(さきがけ)の現地調整役をしている丹羽大貫教授に連絡するのが、今の段階では一番良いと思います。一緒に議論すれば、どのような事を発表すれば一番良いのか分かるでしょう。

2. 日本全国と地元での状況について。
『福島のエートス』が、進展しているのを知ってとてもうれしく思います。エートスのサイトは定期的に訪れていますが、急速に拡大しているのをみて、感心しています。被災地域の外では、放射能に対する恐怖がゆっくりと引いていっているとのことですが、それは良いこと。というのも、極端に低いレベルの被曝を怖れる客観的な理由は全くないからです。影響を受けている人たち、特に村を離れた人たちが、『将来どうなるのだろうか』という疑問に包まれているのは想像できます。しかし、鍵となる問題は、被災地域と日本のその他の地域、(いや、世界のと言っても良い)社会的、経済的、文化的な強固なつながりを維持することです。チェルノブイリでの経験からは、被災地域や住民に対する差別が長期的には深刻な問題となるのが分かります。このリスクに対して初期に手を打つのが重要です。

20 mSv/年を基準にするという決断は良い知らせです。これで、多くの人が早期に家に帰る事ができる。もちろん、根拠のあるかぎりできるだけ、(可能なら1mSv/年以下に)可能な放射線防護行動をとるのが目標になります。これは、大部分の汚染地域において、長期的にしか達成できない野心的な目標に見えるかもしれませんが、手の届かない目標ではない。フィルムバッジを小学校の生徒につけた最初の結果からみると、十分なんとかなる感じがします。再びチェルノブイリの経験のことを話すと、地域でちゃんとした実用的放射線防護文化が作り上げられると、1mSv/年よりずっと下に下げたままにすることは可能です。状況を改善するのにあてることのできる重要な資源の日本での状況と、特にインターネットを使った高度な技術、また、当然のことですが、できるだけ早期に状況を回復させたいという地域の人々の希望を考えると、日本での過程は、旧ソ連の時より、もっと短くなると確信しています。

内部被曝を管理することが、長期的には主要な問題になる、という考えは正しい。チェルノブイリの汚染地域ではそうでした。色々な面で、福島の状況はチェルノブイリと違っていますが、最初にエートス計画で開始され、その後、コア(CORE)計画で実行され、成功した、食品や人の放射線被曝の管理の方法は、福島の被災した地域の人々と一緒に、汚染地域で住むために必要不可欠な放射線防護文化を作り上げる助けになるモデル(出発点)となるでしょう。添付しているのは、フランス語でのパワーポイントのファイルですが、コア計画のブラギン地区で作り上げられた管理の方法を書いています。そのうちいくつかのスライドは、環境省で私が発表した時に使いました。更に知りたい事があれば、教えて下さい。

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