2018年7月17日火曜日

2018年2月11日 福島ダイアログ「南相馬、小高のいま、未来を共有するための対話集会」2日目ご報告

2日目

  二日目は、南相馬市情報交流センターにて、ダイアログを行いました。ダイアログの場には、小高区の方だけでなく、2014年5月に南相馬市で開かれた第8回ICRPダイアログセミナーにご参加いただいた方にもお声がけし、当時から変わったこと、変わらなかったことについてもお話いただきました。

  海外からの参加者も、この時に参加していた人も多く、当時と現在の状況の違いが浮き彫りになりました。
  2014年5月のダイアログセミナーでは、怒りや嘆き、混乱の声がいまだ強く残っており、放射能への懸念も繰り返し提起されました。
  今回のダイアログセミナーでは、放射能に対する懸念については、ほとんど出てこず、震災前とは大きく変わってしまったこれからの暮らしや地域をどう立て直していくか、ということが大きなテーマとなりました。
  震災前から比べると、南相馬市全体では、生産年齢人口が約13,000人減少しています。人口減少と高齢化が急速に進み、また、復興工事が収束に向かい、この先は工事関連の労働者が減ってしまう中、どのように活気を作っていくのかが、大きな問題となっています。

  一方で、地域に戻って暮らしていく生活の中でも、これまでの地域のつながりが薄くなってしまった状況から、自立しつつどのように暮らしていくかという点も語られました。復興住宅でコミュニティ活動をされている大町きらきらサロンの鎌田さんからは、もともと違う場所で暮らしていた人たちが復興住宅に新しく住まうことになったなか、放っておいていたのでは、どこに誰が住んでいるのか、それぞれの名前さえわからない状況に危機感を覚え、交流を始めることにしたという話を伺いました。継続的な活動を続けるうちに、少しずつ顔をおぼえ、出会った時に挨拶をする関係ができてきた話も語られました。ただ、こうした自治的なコミュニティ活動が行われている復興住宅はそんなに多くはなく、そうした場所では、復興住宅内のコミュニティが構築されにくい、という話もありました。
  また、震災後、外部からの支援を多く受ける中で「支援慣れ」してしまい、自立が阻害されているのではないかという指摘がある一方、人口が減ってしまい高齢化が進んだなかで、外部からの支援がなくなって、この先も地域を維持していけるのかというジレンマもあることを感じました。
  小高区に戻って暮らしている方たちは、地域で卓球クラブを作り、そこで仲間と一緒の時間を楽しく過ごせていることも話されました。ご披露いただいた卓球クラブのTシャツには、
「村上で釣りしたい。川原田でしじみとりたい!。金谷で山菜とりたい。そして食べたい!」
と書かれています。戻って暮らす選択をされた多くの方たちは、きっとこうした願いとともに戻られたのではないかと思います。

  南相馬市では、小高区に避難指示が出ていただけでなく、沿岸部では津波による甚大な被害を受けており、それぞれの場所によって状況が違うだけでなく、震災後も時間の経過によって状況の変化が大きく、そこに暮らしている人でも、全容を把握することが難しい状態になっていることも窺えました。
  変わってしまった互いの状況を共有するためにも、こうした対話の機会は非常に重要であると何人もの方がおっしゃったのが印象的です。これは、2014年に開かれた時にはなかったことで、ある程度状況が落ち着いて、まわりの様子を見渡す余裕ができてきた一方、状況の変化について振り返り、まわりの状況をきちんと知りたいと感じる方が増えたせいではないかと思っています。

  個人的には、戻った人たち、暮らしている人たちは、戻った人間でがんばってやっていこう、という意思が見える一方、そこから外れた方たちたものが言いにくそうにされていたのが気になっています。ダイアログの後、安東が個人的にお話を伺った何人かの方は、
自分の言いたいことがうまく言えなかった、
と言われていました。これは、ダイアログの運営者としては大きな反省点である一方、それぞれの状況の違いが大きくなるなかで、ダイアログをするための工夫の必要を強く感じました。
復興の足を引っ張ってしまうのではないか、後ろ向きと思われるのではないか、
そうした意見を言うことがはばかられ、語ることをためらったとのことでした。放射能に対する懸念が減ったことは事実でしょうが、話がほとんど出なかったことについては、懸念を語ることによって風評被害を呼び込んでしまうと感じられて、無意識に避けられているのではないか、ということも、気になりました。
  地元に戻っている方たちは、避難先にいる人たちは、もう戻ってこないだろう、という前提で、地域の再生を考えている方が多いように見えました。一方で、避難先にいらっしゃる方たちは、割り切れない思いを抱えている方もいらっしゃるようです。
戻らないからといって、故郷を忘れたわけではないし、捨てたわけでもない。この先も、関われる部分では関わっていきたいし、自分が役に立つことがあれば力になりたいけれど、なにをすればいいのか、どう関わればいいのかわからない、
そうした葛藤の声も聞かれました。
  復興は、数年で完結するようなものではなく、この先もとても長い過程を経ていくものにならざるを得ません。長い時間の中で、当然、人の移動もあります。10年先、20年先に戻ってくる方もあるかもしれない。あるいは、子供さん、その先のお孫さんの時になって、縁のある土地に住んでみようと思われる方もいるかもしれません。一度は出て行った若い人が、時間を経て、やっぱり戻ろうかと思うかもしれません。現時点での「戻る/戻らない」で二部するのではなく、地元に縁のあるより多くの人たちが、暮らしたいと思える環境を作り、復興を支えられるようにしていくことも大切なのではないかと思いました。

  2014年にも南相馬を訪れているノルウェー放射線防護庁のアストリッド・リーランドさんから、前回と今回の違いについて感じたこともお話いただきました。2014年に比べれば、はるかに落ち着いた雰囲気になっていて、復興が進んでいるのを見てとても嬉しい、との言葉が出る一方で、震災への対応を行うと、それがまた新たな問題を生むというサイクルになっているという指摘もありました。事故が起き、放射性物質が広がった。対策のために行った除染が、除染廃棄物や仮置場の問題を生み、それが中間貯蔵施設の問題にもなっている。ソーラーパネルについてもそうですが、こうしたサイクルが各所に見られ、それぞれが解決しないまま複合的に絡み合い、復興の問題をより難しくしている側面があると安東も感じています。

  今回のダイアログは、震災後の復興のステージが大きく変わったことを感じさせるものとなりました。この先の問題は、短期間では解決せず、長期的になることも、強く予感しました。粘り強い取り組みがより一層必要とされる時期になっているのだと思います。


  最後になりましたが、今回のダイアログ開催にあたって、多大なる協力をいただきました南相馬市役所、杉重博さん、米田寛さん、鎌田たつ子さん、小高復興デザインセンターの村田博さん、そして日本財団のご支援に心から感謝申し上げます。

文責:安東

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