2011年12月20日火曜日

Lochard (ロシャール)先生への手紙(日本語訳)

先日私が投稿した、ロシャール先生に対する返事の日本語訳です。
安東さんの書いた頭の文章は、私が英訳した物を更に日本語に戻しているので、ちょっと文章はずれています。

ETHOS IN FUKUSHIMA

核事故の後でも、福島での生活を慈しみ、より良い未来を次の世代へ渡せると信じています。その信じていることを実現したい。9月に放射線防護の勉強会を開きました。いまは、日本の福島でエートスのプロジェクトを立ち上げようとしています。

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ジャック=ロシャール博士への返事。
著者:twitter: @buvery (@ando_ryoko の代理として)
mail: buvery@gmail.com (ethos.fukushima@gmail.com の代理として)

ロシャール先生へ。

私たちから連絡があったときに、さぞ驚かれたことだと思います。丁寧なお返事をいただき、また私たちに興味をもっていただいたこと、感謝しております。現在の所、私たちは二つのグループに分かれています。一つは、福島県いわき市の地域住民を安東量子さんがまとめているもの、もう一つは、主にツイッター上でゆるく結合した人たちです。安東さんは両方に入っています。

知り合った経緯を説明する必要があると思います。私はこの晩春にツイッターで安東さんと知り合いました。その頃、私は、放射線防護に関するブログを書いていて、安東さんはどういうわけか私を見つけ、その後、色々話すようになりました。

その当時も(今も)、日本は、福島での原子力災害の混乱のさなかでした。福島県いわき市で植木屋をしている安東さんは、当然のごとく心底おびえていました。政府は壊れた福島第一原発から20キロの立ち入り禁止区域を設けており、その半円の中に住んでいた人は、すでに避難していました。安東さんは立ち入り禁止線のすぐ外側に住んでいて、村や町が壊れていくのを目の当たりにしていました。

安東さんがこの破局を乗り越えようとしてるのが、私にははっきりとわかりました。放射能による汚染状況に対して科学的に根拠のある対策は必要であるものの、この難事を乗り切る核となるものは、誇り、つまり、この地域での生活を慈しむ気持ちだ、という意見でした。私は、安東さんを手助けすることを決めました。

原子炉が爆発してからというもの、災害に対処するために、ツイッターで活動を始めた科学者はたくさんいます。そのひとりが、京都女子大学の物理学者である水野義之先生です。安東さんと水野先生は色々話し合ったあと、福島県いわき市で地元の集会を開くことを決めました。集会の前半は、放射能の物理的性質と人体の健康に対する影響の講義、後半は地元の人からの質疑応答です。これが地域の崩壊を食い止めようとして、安東さんが最初に試したことでした。

その間も、この状況を何とかするための、枠組みを探していました。

丁度そこへ、ロシャール先生が政府のワーキンググループのために来日されたのです。ワーキンググループでの講演は記録されて、ネット配信されました。エートスのプロジェクトこそが必要なもので、ベラルーシでの経験に学ぶべき物がたくさんあることは、安東さんには明らかでした。一週間前に、翻訳が呼びかけられて、(中平さんを含め)安東さんの活動を手伝っているツイッターの人たちがそれに応えました。数日前には、情報を蓄積し、配布するためのウェブサイトを開始しました。実際、ロシャール先生の私たちへのお返事と、その日本語訳が、そのブログの最初の記事になっています。次の安東さんによる地元集会は福島県いわき市の久之浜で12月18日に行われます。久之浜は、原発から30キロであり、津波の被害も深刻です。ロシャール先生の講演資料を日本語訳した物は、その集会で教科書として使われる予定です。

現状このようなところです。ご覧の通り、私たちはまだ始まったばかり、この先どうなるのか分かりません。ただ、この先が長く険しい物であっても、必ず道は見つかると信じております。

こちらの連絡先として、ethos.fukushima@gmail.comにメールをしていただいても構いませんし、個人宛にメールを書いていただいてもかまいません。必要な情報は、適宜配布するつもりです。今後も連絡をとって共同作業ができれば良いと思っております。

多謝。
twitter: @buvery (on behalf of @ando_ryoko)
mail: buvery@gmail.com (on behalf of ethos.fukushima@gmail.com)

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