2017年11月25日、26日にかけて、川俣町山木屋地区で「山木屋の住⺠の方たちと現状を共有するダイアログ」を開催いたしました。
1日目は、山木屋地区内を見学させてもらいました。
朝、川俣町役場に集合、川俣町佐藤金正町長にご挨拶をいただいて、2台のバスに分乗しました。(安東が同行したグループの日程に沿って記載します。)
山木屋地区は、阿武隈高地にありますが、山間部とは言っても、高原のとてもならだかな丘陵地のような地形になり、山の上にいることを忘れてしまうほどの場所です。農業も昔から非常に盛んで、なだらかな地形を利用して、戦前から放牧地としても利用されていました。震災前は、牛の放牧が盛んでしたが、戦前には、軍馬の牧野として使われていたとのことなので、放牧地としての歴史の長さがわかります。
まず、長い階段を登り、銅葺きの社殿の八坂神社を訪問しました。八坂神社では、毎年10月に300年以上の伝統があると言われる「三匹獅子舞」という踊りが奉納されています。原発事故の避難指示によって、三匹獅子舞の奉納は途絶えていましたが、避難指示が解除された2017年10月、7年ぶりに再開されました。本来は、小学校5、6年生の男の子によって踊られるものなのですが、子供の数が少ないため、大人が代わりに奉納したそうです。
避難指示中は特に、神社の屋根を葺いている銅が盗まれる可能性もあったため、パトロールで見回るようにするなどのご苦労があったと伺いました。
この日は、あいにくの冷え込んだ天気になったのですが、八坂神社を見ているときには、霰や雪が降り、コートの襟を立てながら、見学させてもらいました。
ついで、トルコキキョウを栽培されている広野邦子さんのところを訪れました。山木屋地区は、昔からトルコキキョウの屈指の産地として知られ、寒暖の差がもたらす花色の発色の良さと品質の高さに評価が高い産地でした。
しかし、突然の原発事故と避難指示によって、その生産も中断を余儀なくされてしまいます。避難先では、農作業などすることがなくなって手持ち無沙汰になってしまった人も少なくない中、邦子さんは仮設住宅の役員などの仕事になり、かえって忙しく過ごされていたそうでした。避難指示が解除となる前から、山木屋地区ではトルコキキョウ生産再開が可能となりましたが、最初は、避難後の大雪などで荒れてしまったハウスの状態を見て、気落ちしたこともあるそうです。それでも、市場の人からトルコキキョウは風評被害がほとんど出ていない、という話を聞いたことなどもあり、家族で相談し、補助金などを活用してハウスなどの施設を再び整備して、再開にこぎ着けたとのことでした。自分はトルコキキョウが好き、と笑顔で言われていたのが印象的です。
ただ、中断していた間に、トルコキキョウも新品種が入っていたり、また、花の仕立て方(枝数や花数を調整しながら育てる)の市場からの要求が変わっていたりしたため、状況をアップデートするための試行錯誤もあったとのことでしたが、今は、品質も満足のいくものが取れるようになり、市場での評価も高いとのことでした。技術の進歩や流行がある花卉類は、再開後の状況アップデートなどの生産者側の努力も必要となることを感じました。
避難によって人口が減少したため、繁忙期に手伝いに来てくれる近所の人がいなくなり、人手が足りないことが現在の大きな悩みであるとのことでした。農業、トルコキキョウの栽培は楽しいと思いますから、ぜひ、やってみたいという若い方がいらしたら仲間に入ってください、とのお話で最後は締めくくられました。
その次に、山木屋にある森林実証地の見学に行きました。ここでは、千葉大学他が森林におけるセシウムの動態の継続的に観察されています。今回は、千葉大学の小林達明先生に現地で説明をしていただきました。
山木屋地区の試験地での継続的な調査の結果、森林におけるセシウム137の大半は、林床部分に止まっているとのことでした。林外の水にもほとんど流出しておらず、森林に蓄積しているそうです。林床でもおおよそ深さ5cmまでの黒くてふかふかした部分にセシウムは止まり、それ以上深い土壌にも浸透していっていないとのことでした。
樹木へのセシウム137の吸収は、樹種によって異なり、アカマツはほぼ全く吸収がないようですが、コナラは微量の吸収・移行があるとのことです。そのコナラでも、現在の状況では、樹皮へのセシウム137の付着の量の方が圧倒的に多いとのことでしたが、今後も状況を見ていく必要がありそうです。
午後は、山木屋地区内にある除染廃棄物の仮置場の見学からスタートしました。以前、田であった場所に保管されている除染廃棄物は、現在、一部は中間貯蔵施設に運び出しが行われています。山木屋地区全体では、22箇所の仮置場があり、除染廃棄物の総量は約22万袋保管されています。そのうち、11月30日現在で、10万袋の搬出が完了し、残り約10万袋が残されているとのことでした。
休日にも関わらず、ご対応くださった環境省福島環境再生事務所の皆様、現場管理者の皆様、ありがとうございました。
【参照】川俣町HP
最後に訪れたのは、八木地区の大内謹一さんのご自宅でした。山木屋地区は、全体的にもなだらかな丘陵に抱かれた風光明媚な場所なのですが、八木はその中でも取りわけ美しく、ご自宅からの景色は素晴らしいものでした。お話の中でも、美しい風景を守りたい、大切にしたいという言葉が何度も出て来たのが印象的でした。
大内さんは、震災前は、様々なご苦労の末に、ハウスミニトマトの栽培がちょうど軌道に乗り始めたところだったそうです。ようやく一息つけるかと思ったところに原発事故と避難になってしまいました。当時、高齢のお母さんの介護があったため、避難先で複数箇所移動することになるのを避けるため、仮設住宅の建設ができるのを待って、避難されたとのことでした。大内さんも、仮設住宅での役員のお仕事があり、ご夫婦で震災前よりも忙しいくらいの生活を送られていたそうですが、自宅に残して来た飼い犬に餌を与えるために、欠かさず毎日朝晩二回、二時間かけてご自宅に通われていたとのことでした。こなかったのは、大雪で道路が通行止になった時だけで、その時も、近隣の除雪が行われると、途中まで車で乗り付けて、残りは、雪をかき分けて徒歩でご自宅まで通われたとのことでした。
現在は、風評が懸念される食べ物ではなく、アンスリウムのハウスによる栽培を始められる準備を進めていらっしゃるとのことでした。政府や自治体、あるいは専門家による補助や支援は、どのような助けになったか、という質問に対して、そうした公的な支援は全く期待していない、震災前から自分でやって来たし、今も自分でやっている、と言うお返事でした。
【参照】
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