今回は、プログラムの目的にありますように、震災から6年と4ヶ月経過し、福島県内においても各地域の復興状況が大きく異なっている現状の中で、それぞれの状況を共有することを狙いとしました。これまでのダイアログセミナーの中でも、避難指示が出なかった地域、避難指示が出て解除され数年経過した地域、避難指示が解除された地域、まだ解除されていない地域、もっとも多くの地域の方にダイアログにご参加いただけたのではないかと思っています。これまでは、それぞれ自分たちの状況に必死で、ほかの地域の状況に関心を払う余裕があまりなく、状況が大きく異なる地域の人たちで、ダイアログのひとつのテーブルについて状況を共有することは難しかったように感じています。
ダイアログセミナーを継続して開催してきて感じるのは、会を重ねるごとに、情報や状況を共有する場の必要性を重要性を述べられる参加者が増えてきているということです。他の方の話を伺って、自分も頑張ろうと思った、自分たちの状況を知ってもらえてよかった、他の地域の状況がわかってよかった、と仰る方が、会を重ねるごとに増えているように思っています。
1日目の対話セッションでは、震災直後の話から、現在、未来と時間をまたがった話が多く語られ、時間の経過による変化を感じさせられました。時間が経過するごとに状況や直面する課題は変わってくる一方で、新たな課題に直面したり、解決したと思った問題が形を変えてあらわれてくることもある、それに対して、それぞれ一人一人で受け止め方も違います。震災以後の出来事を消化したと言うには程遠いものの、それぞれのこれまでの時間の積み重ねの上に、自分たちの現在、そして、未来をどう再建していくのかという点に問題が集約されてきていることが浮かんできたように思います。そして、地域の状況や放射能の問題は目に見えないものであることから、互いに語りあって状況を共有することが大切であるということ、長くかかっている復興を続けていくためには、恐怖ではなく「楽しみ」を大切にしていきたい、ということも共通して見えてきました。同時に、互いに助けあうためにも、他の地域とのつながりが大切である、ということも多く語られました。
1日目の対話セッションにおいて、皆さんが語られた「未来にとって必要なもの」は、すべて目に見えない価値でした。誰も、お金が欲しい、ハコモノを作ってくれ、と言う人はいませんでした。復興に向かうためには、自分自身にとっての価値、ほかの地域、ほかの人たちとの共有することができる価値を見つける、あるいは、生み出していくことの重要性が語られたように思います。
2日目は、ベラルーシからアナスタシア・フェドセンカさんにお越しいただいて、チェルノブイリ事故の経験を語っていただきました。アナスタシアさんの故郷は、ベラルーシの立入禁止区域にあり、事故当時、アナスタシアさんは立入禁止区域ギリギリの村に住んでいて、原発事故によって影響を受けたという「リグビダートル」のお一人です。事故が起きた直後は、事故が起きたことも知らず、チェルノブイリ原発のすぐ近くで花を摘んで、それを友人の家に持っていって、自分の家のテーブルに飾っていたという体験も語られました。事故によって大きく変わってしまった日常を再建するために、測定を通じて、事故後の新しいライフスタイルを作っていく努力を続けらてこられました。そしてその努力は、いまもなお続けられており、自分たちの生活に自信を持っている、と語られました。
いま、75歳となられたアナスタシアさんの故郷は、政府によって埋め立てられ、村の形は残っていません。年に一度、お墓参りの時期には立入の許可が下り、家族や親戚で訪れているそうです。立入禁止区域になった故郷への思いについて、「どんなふうになっても故郷は故郷、思い出もある。大切な場所だ」と言われました。90歳を超えたアナスタシアさんのお姉さんは、自分が亡くなったら、故郷へお墓は作ってほしい、と言っているそうです。いま、ベラルーシの立入禁止区域でも、試験的に作物を栽培してみるなど、土地の再利用への試みははじまっているとのことでした。
アナスタシアさんに福島においでいただくのは、2013年の第6回ICRPダイアログセミナーについで、2回目になります。その時に比べると、参加者の方のベラルーシの体験談への関心も高く、会場からの感想や質問も多く出ました。これも、時間の経過を感じさせるものでした。
午前中に、月舘小学校で行われた演劇の取組の発表を受けて、双葉町の半谷さんからは、「自分の孫も、双葉の小学校を卒業させたかった、と涙した」とのコメントもありました。双葉、大熊の方の故郷への思いは、ミニ・パネルでも語られていますので、そちらをご覧いただきたいと思いますが、戻りたいという気持ちもあると同時に、戻れない、本当に戻れるのか、という思いがあることが語られました。しかし、ベラルーシのアナスタシアさんと同様に、戻れないにしても「故郷は故郷」という思いが強くあることも語られました。こうした思いを語っていただき、会場で共有できたことがなによりのことと思っています。
2日目の議論全体を通して、原発事故の影響がまだ色濃く残る相双地区では、復興のプロセスのさなかであり、復興のために、あるいは、まだ復興の道筋が見えない故郷を守るために、おおくの人がいまなお移動していることを感じました。避難指示区域の将来について語るときに、帰還する/しない に問題を集約させがちですが、現実の人の動きは、そうした単線的なものではなく、避難先から通いながら故郷の復興に関わる人もあり、復興支援のために県内の避難区域外から訪れる人もあり、戻れない故郷の様子を見るために通う人もあります。一方で、避難の長期化に従い、移動する事へ疲労してきたことも語られました。復興は、単線的なものではなく、この先も、長期に渡ってこうした複雑な人の動きをともなう動的なプロセスであり、この動的なプロセスを支えていくための仕組みが必要なのではないか、というのが、わたしの個人的印象です。
今回のダイアログの2日間の対話セッションでは、ダイアログセミナーが復興において果たす役割についても、参加者から積極的に議論がありました。いまだ、未来図が霧に包まれている被災地が少なからずある中、福島県内の情報を共有、発信していくために、より積極的な役割を期待する声が複数の参加者から出ました。現在、福島県内各地であるそれぞれの動きが「点」として孤立しているように見える。点と点をつないで線にし、それをやがて面になって「復興」と言えるのではないか、との声もありました。ご提案をうけて、ダイアログセミナーに関連する情報を共有するニュースレターをメールで発行することを現在検討しております。決定しましたら、サイトで告知いたします。
今回のダイアログセミナーの様子については、ほぼすべてを動画として記録し、資料集に掲載してありますので、ぜひご覧下さい。
開催地となりました、仁志田市長をはじめとする伊達市役所の皆さま方には、今回もお世話になりました。後援をいただきました日本財団をはじめ、変わらずご参加、ご助力を賜りました国内外の皆さまに心より感謝申し上げます。
文責:安東量子
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